私がT工場からM工場へ転勤したのは昭和41年 (1966) 4月1日付けだった。
M工場は米軍横田基地に隣接していたが、当時東側は荒涼たる雰囲気の畑が見渡す限りに広がっていた。この辺りは米軍機の騒音のため、国道16号線沿いにあった公営住宅も空き家が多かったのが現状だったし、この一帯は人が住む条件に欠けていた。
エンジンテストは排気音も高いので、このように人里離れた場所にM工場を建てたのは昭和36年10月のことだった。
当時、M工場は航空自衛隊の主力戦闘機・F104-DJ に搭載されている J79-IHI-11A ターボジェットエンジン (アフターバーナー付き) の新製後のテストがメインだったが、同じく航空自衛隊の中間練習機 T1B に搭載されている J3-IHI-7B のテストも行われていた。
しかし、この J3-IHI-7B のテストで最も重要な排気温度に関して不具合が発生、その対策の一貫としてこのエンジンでは比較的経験のある私が選ばれての転勤だった。
私も以前から転勤を申請していたが、それは最新鋭の J79-IHI-11A エンジンのテストに従事したいとの願いがあったからだった。
それと飛行機好きな私としては米軍基地に飛来する軍用機を見る、撮る、ことができることが凄く魅力的なことだったが、当時は基地内は撮影禁止でフェンスには何カ所も撮影禁止の看板が取り付けられて 「違反すると日本の法律で罰せられます」 と注意が喚起されていた。
だが、この頃はベトナム戦争が激化してアメリカ軍が本格的に介入、横田基地にも戦闘機部隊 (F4 戦闘機2飛行隊) が常駐するなどの変化があり、飛来する軍用機も多く飛行機ファンにとっては格好の写真撮りの場所でもあった。
特に珍しい機体も多く、今の若い人には F100、F101、F105、B47、B57、WB50、B66 と言ってもご存じないであろうが、 私と同年代の飛行機ファンなら懐かしい機種ではなかろうか。
最近、写真を整理していたら35ミリネガをデジタル化したファイルが見つかった。私としてはすこぶる貴重な飛行機が写っていた。その中でも特に興味があるのは RB57-D の写真だった。
RB57-D はアメリカ空軍の B57 爆撃地を偵察型に改良したもので、そのために R (Reconnaissance) の符号が付与されている。さらにこの爆撃機のルーツはイギリス空軍の 「キャンベラ型爆撃機」 で、その高性能に着目したアメリカのマーチン社がライセンス生産して B57 の正式名が与えられた。
B57 爆撃機は戦後の一時期、ジョンソン基地 (現在の航空自衛隊・入間基地) に常駐していたが、私は自転車に乗ってこの基地に B57 爆撃機を見に行った記憶がある。
RB-57D は主翼を延長しエンジンを強化 (メインエンジンは主翼に J57 ターボジェットエンジン二基、パイロン下にブースターとして J47 ターボジェットエンジン二基を搭載している) した高々度偵察機である。
横田基地にはいつ常駐したのかは不明だが、私がその写真を撮ったのは 1960 年代後半 〜 1970 年代前半だと思われる。
私は今までにたくさんの飛行機を見てきたが、この RB57-D が強い印象を与えるのはその離陸だった。
横田基地滑走路の半分くらいで機首上げして離陸、圧巻なのはその直後だ。普通の飛行機は徐々に高度を上げて緩やかに上昇するが、この機体は一気に、急角度に上昇する。それは遠くから見ているとあたかも直角に近い角度で上昇し、あっと言う間に雲間に消えてしまう。このような離陸をするのは RB57-D だけだった。
機体重量に対してハイパワーなエンジン出力を持っているから、そのような急角度でも離陸が可能なのだろう。
当時、私もこの機体についてはいろいろと情報を集めようとしたが、今のようにネット検索などできないから雑誌などを読むしか無かった時代だった。
聞くところによると RB57-D は二万から三万メートル上空で偵察可能だが、その際、ジェットエンジンから排気される熱線ホーミング探知を防ぐために、エンジンを停止、だがエンジンは風車のように回転してしまうので、その対策として 「エンジンロック機能」 が働いてエンジンローターを拘束するようなシステムがあるとのことだが定かではない。
おそらくは高高度でエンジンを止め、滑空状態で偵察するため翼面積を増やすためにロングスパン型 (主翼を延長) に改良したのだろう。
RB57-D についてはネット検索したが、あまり得ることは無かった。ただあるサイトで 「1956年、6機のマーチン RB57-D 単座写真偵察機が日本の横田基地に駐留していた」 との記述があったが 「横田基地の歴史」 などを参照しても確認は得られなかった。
でも RB57-D は凄い飛行機でした。今でもあの急角度の離陸が目先に焼き付いています。
それとモノクロの写真も懐かしく、想い出が次から次へと浮かんできます。四枚の写真ともいずれも着陸時に撮ったものです。
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